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フランスのポートワイン

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Banyuls, Vue sur les vignes et la mer, G. Ducros, mai 2021.

ピレネー山脈の端へ行くと朱色沿岸があります。地中海と交流するピレネーの景色は最高だと思います。コリウール(Collioure)は一番有名な観光地だと思いますが5月に行ったバニウルス(Banyuls)という所について話したいと思います。

バニウルスは朱色沿岸の全ての街と同じように港とビーチがあります。海の自然保護区があって海はきれいですがビーチと言っても砂浜ではなく、小石の浜で快適と言えません。しかし浜とビーチはバニウルスの特徴ではありません。特徴はブドウ畑です。段丘で生えます。その段丘は街の後ろの切り立った丘の全てを覆って、ブドウに特別な味を与える片岩の壁で支えられています。このワインショップのサイトで私よりよく説明されています。景色は印象的ですがよく見るとブドウがない段丘もあります。土地を休ませているのではないかと思ったら違います。

バニウルスワインを生産するブドウ栽培者に直接販売できます。たまたま「Etoile(星)」という協同組合でワインを買った時に休ませている畑の話をしたら、休ませてなくて跡取りがいないんだという説明をされました。ええって?なんでだろう。ブドウの段丘畑の仕事は大変です。機械を使うことができなくてロバのような動物しか使えませんし、収入の面を見るとそんなにお金にならないので他の仕事もしなければならないのは珍しくないんです。だからブドウの段丘畑をするのはほとんどお年寄りで、子供がいても違う仕事をして跡取りになりたくないみたいです。日本の農家と一緒ではないかしら。

バニウルスワインの作り方はポートワインと一緒です。ワインの種類も大体一緒です。果実の味がする若くて安い「Rimage」(ポートのRuby)もあれば、色々なアロマで豊かな古くて高い「Rancio」(ポートのTawny)もあります。みなさん機会があったらぜひ飲んでみて比べてください。それでコメントで結果を書いてください。

Ouest France新聞の記事によるとバニウルスワインの生産は50年の間に5分の1に減りました。しかし、ポートはそのままです。謎ですね。イメージの問題もあるのではないかという人もいます。確かに生産の仕方は一緒ですから、その生産と関係がある問題も一緒のはずです。が、結果は異なっているから私もマーケティングの問題があるのではないかと思います。個人的にバニウルスワインのイメージは素敵ですが若者には古臭いイメージがあったそうです。栽培者が努力して、最近ちょっと回復しているらしいです。世界の美しさに多様性は大切ですから上手く行けばいいですね。

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串焼きケーキ

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Stand de gâteaux à la broche
Stand de gâteaux à la broche, marché de Montréjeau, mai 2021, G. Ducros.

バウムクーヘンと出会ったのは日本でした。見た目が違うので最初は気が付きませんでしたがピレネーの串焼きケーキと一緒です。日本のバウムクーヘンは均一に層が重なっていてすべすべしたリングになっていますが、フランスの串焼きは丸いですがケーキの層はいびつな形で生地のとげがいっぱい付いています。言ってみれば日本のバージョンはおしゃれでフランスのは民芸的です。

ケーキの発明の場所と時期を規定するのはいつも難しいですがこういうような串焼きケーキは昔から中央ヨーロッパにあって、ナポレオンの軍隊はフランスにケーキの作り方を持ち帰って、山の地方、特にピレネーと中央山地で取り入れて、今もそこの名物でまだ作られています。例えば前の投稿で出ていたアローなどで専門店があります。

日本では知られていないと思いますが、フランスで「一番上手なパティシエ」という番組があります。夜甘いものを食べるのはダメですからずっとケーキを見るのは拷問みたいと言えますが、なんとなく面白いと思います。ケーキを作ることが好きなアマチュアたちは敵対して、2018年シーズンのテーマは「歴史での旅行」で、パティシエの技術を評価するためコンテストのある試合には串焼きケーキを作らなければいけませんでした。

その際にはレシピの難しいところが紹介されました。例えば生地を作るのは大量です。その後、持ちかえってケーキを焼くので火を起こして強さを管理して、正しい回転速度を見つけなければなりません。早すぎだとケーキは崩れるし、遅すぎだとケーキは焼きすぎます。それで最後にとげを作って壊さないようにちゃんと型から取り出さなければなりません。

一人で出来上がるケーキではなくて、昔みんなで出来上がりまで暖炉の前で交代して、みんなで食べていたと想像できます。日本と同じように儀礼の時よく食べられていました。現在の家族は小さくて暖炉がある家は少ないので、今でもこのケーキを作り続ける人に対して称賛の気持ちを抱いています。

参考:https://www.youtube.com/watch?v=z1PKyCM71NI

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ポニーくん

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chevaux dans les Pyrénées
Chevaux dans les Pyrénées, Vallée de la Barousse, G. Ducros, octobre 2019.

畑の間で走る道を通ると、前に書きましたようにロバが見えますが、馬もたくさんいます。そういうわけで乗馬できる乗馬場もたっぷりあります。

乗馬は2歳からできます。まだ本当の調教をしませんが馬を撫ること、馬に乗ることは得になります。感情移入と責任と信頼の勉強になります。肉体的に手を離して乗ったり、馬の耳を触るために馬に身をかがめたりバランスを向上させます。馬に乗って色々な教育を目的とする練習も出来ます。右、あるいは左に曲がったり、調馬場の壁に掛けている色、あるいは字に向かったり基本的な知識を習って、空間の感覚を養います。

幼い時にした馬のキャンプは素晴らしい思い出です。それで大学で勉強していた時に選択科目の中に乗馬がありました。学生ですから割引があるのではないかと思って乗馬を選びました。乗馬場は大学から遠くて、いつも遅れていました。いつも変わることなく、レッスンは馬の割り当てから始まりました。その日の練習をするために学生たちは順番に好きな馬を選んでいました。もちろん素直な馬、あるいはきれいな馬は先に選ばれていました。私はいつも遅れていましたから誰も乗りたくなかった馬と練習をしなければいけませんでした。そぴの馬はポ二ーでした。

反抗的な真っ白いポニーでした。泥が大好きでしたから手入れするために畑へ迎えに行った時に泥だらけなのは珍しくなかったです。ブラシをかけるのは時間かかっていました。それで調馬で調教をしていた時に、退歩をしたり、違う方向に走ったり、ほかの馬をいじめたりしていました。しかし、乗馬は成績になっていましたからなんとか頑張るしかありませんでした。

六ヶ月の後世界で一番仲良しの友達になりました。泥遊びをやめませんでしたが調教の時、口を開かなくってもポニーくんは完璧に行動していました。飼い慣らすことができたと思います。キャンターというテストでとてもいい成績を取れました。ポニーくんありがとうございました。

成績はあまりにも良かったので背が高くてきれいなシルエットをしていた雌馬を割り当てられました。もう学年の終わりでしたし、また初めからやり直すのは大変でしたのでその時に乗馬を辞めましたが、とてもいい経験でしたからおすすめです。生き物、また人間関係について教訓になりました。

馬は自閉症の人、障害を受けた人、自信がなくなった人の治療にも使われています。お年寄りにも。ペットセラピーの一つの種類だといえます。

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冬観光の歴史の中で大切なスーパーバニエル

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Vue depuis le Mourtis一番近いスキー場から見える景色, janvier 2021, G.Ducros.

コロナのせいでスキー場のリフトが停止されました。12月と今年の1月にたくさん雪が降ったので勿体ないと感じました。リフトが動かないとスキー場は寂しいと思っていましたがそうではなくて驚きました。スーパーバニエルというスキー場の下にあるルーション町(Luchon)で用事があって、そこへ行った時にけっこう人がいてスキーウェアを着ていた人が多かったです。レンタルする店も営業中でした。なんでそんなに人がいるんだろうと思いました。みんな自分で登るかと思いました。

天気があたたかくなって、川の水位が上がって、そろそ雪が溶けるなくなると考えて、私も一番近いスキー場まで行きました。誰もいないと思ったら、違いました。リュージュをやりましたが背中にスキーを乗せて仲間がいました。どんなスキーだったかよく分かりませんがラケットスキー(散歩するためのスキー)をやっている人もけっこういました。スキーが好きな人はやっぱり大変でもしたいですね。リフトがないとスキーは本当に完全な身体的なスポーツですね。

ちなみにスーパーバニエル(Superbagnières)は面白い場所だと思いますから、もう少し紹介したいと思います。なんとかバニエルという場所はピレネーで多いです。バニエルはラテン語の「balnearias」から来て、ローマ帝国から知られている温泉を示しています。ルーションで卵の臭いがしている水、つまり硫黄が入っている水を楽しむことができます。

なぜスーパーバニエルは面白いかという理由がピレネーの一番古いスキー場にもあります。1894年にルーションから200メートル上がっていたピレネーの最初のケーブルカーが設置されました。それで、1912年にスーパーバニエルまでいける山の鉄道が開かれて、海抜1800メートルの『グラン・ホテル』というパレスの建設が始まりました。冬観光の歴史の中で大切な場所となりました。

子供のころよくスーパーバニエルへ行っていました。地獄のモーグルがあるという覚えがあります。最近は行っていませんが面白い場所として覚えていますし、そこでピレネーの最初のスキー場を建設したのには理由があると思います。温泉と景色と地形がいいことは原因ではないでしょうか。コロナがなくなったらまた行きたいと思います。

参考:

histoire-superbagneres.fr

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「カゴ」人は誰でしたか。

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Arreau, mars 2020, G. Ducros

去年アロー(Arreau)という町まで行きました。ドーレ谷Vallée d’Aureとルロン谷(Vallée du Louron) の入り口にあります。そこの観光案内所の二階に「カゴ」についての永続的な展覧会があります。もう夜でしたので見ることができませんでしたがまた行って見ようと思いました。なぜならもう「カゴ」がいませんが母に「昔カゴはたいへんでしたよ」と聞きました。では、「カゴ」と言うのは、なんでしょうか。「カゴ」人は誰でしたか。時代によって違いました。

「カゴ」の話しは11世紀に現れます。差別されていた人を指し示します。「カゴ」身分は引き継がれていました。「カゴ」として生まれて、他の「カゴ」と結婚して、「カゴ」として死んでいました。それで、タブーとして自由に選べないことが多かったです。普通の人と混ざらないように住める町が限られていました。できる仕事も限られていました。材木仕事など自然と関係がある大変な仕事が多かったみたいです。宗教でも差別されていました。教会に入る普通の門が使えなくて、カゴ専用のを通っていました。教会入り口の聖水盤も違っていました。カゴの洗礼の時に鐘は鳴らさなくて、死人のお墓は特別な墓地にありました。

「カゴ」の差別の起源について二つの仮説があります。一つ目は他族(侵入した西ゴート人、サラセン人など)、或いは他宗教の子孫なのです。二つ目はハンセン病の患者の子孫なのです。

少しずつ「カゴ」がいなくなって、ルイ十四世の時にその差別とその言葉も禁止になりました。しかし、それ以降も「カゴ」と言う言葉がまた使われるようになりました。例えば、知的障害者のことを指し示していたようです。19世紀の終わり頃に調査が行われて、二万人の知的障害者と十万人の甲状腺腫の患者が見つかりました。だいたい皆がピレネーとアルプスと言う山の地方にいました。色々な理由が考えられていました。例えば高所、血族関係、水の質などです。あるスイスの医者が最初から原因はヨウ素の不足ではないかと考えましたが、ヨウ素の塩を山の村に配れたのは1920年ぐらいでした。配れてから知的障害者や甲状腺腫の患者が完全にいなくなりました。

参考:

https://www.ladepeche.fr/article/2012/09/16/1441116-ces-braves-cagots-ont-ete-maudits-pendant-800-ans.html

https://fr.wikipedia.org/wiki/Cagot#Origines_du_phénomène

https://fr.wikipedia.org/wiki/Cagot#Sens_dérivé

https://www.lepoint.fr/histoire/la-veritable-histoire-des-cretins-des-alpes-09-09-2018-2249778_1615.php

https://www.independent.co.uk/news/world/europe/the-last-untouchable-in-europe-878705.html

https://www.biusante.parisdescartes.fr/sfhm/hsm/HSMx1983x017x001/HSMx1983x017x001x0085.pdf

https://www.sac-cas.ch/de/die-alpen/un-fleau-disparu-le-cretinisme-dans-les-alpes-12386/

https://fr.wikipedia.org/wiki/Cr%C3%A9tinisme

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お神輿でとっぴなモンレジョ村

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Mikoshi placé au-dessus de la porte de la halle où se tient le marché de Montréjeau.
Marché de Montréjeau, juin 2020, G. Ducros.

ヨーロッパにはお神輿が一つしかないということを知っていますか。どこにあると思いますか。ヨーロッパの有名な街にあると考えたら、ブブーです。グルダン・ポリニャンの隣にあるモンレジョにあります。月曜日の朝の市場の立つホールに見られます。なんでモンレジョにお神輿があるのかしら。考察をしました。

2011年3月11日の東北の大地震と関係があります。モンレジョの近くの村の出身であるロベル・ヴェルディエは昔から東京に住んでいて、石巻などを援助するために企画を立てました。ラグビーに興味があって、ラグビー界を頼って、コーミンジュとジェルス地方で新品の服を集めて、被災者に送らせました。

その際に宮田宣也さんという人と出会ったみたいです。http://mikoshiguy.com/というサイトに説明によると宮田さんの祖父がお神輿を作っていました。それで、祭りの文化という手段で日本文化を広げるためにヨーロッパのあちこちの文化祭りでお神輿を出したいみたいです。お返しとして祖父にが作ったお神輿をモンレジョに2014年から預けています。

モンレジョでも祭りがされましたし、おみこしのおかげでモンレジョはラ・デぺーシュという地域新聞からホット・ガローヌ県の一番とっぴな村の賞を受けました。

参考:

https://fr.ulule.com/japanese-mikoshi/

https://www.ladepeche.fr/article/2017/10/05/2659202-le-prix-insolite-pour-mon-beau-village.html

https://www.ladepeche.fr/article/2014/09/10/1948645-une-fete-locale-made-in-japan-pour-remercier-montrejeau.html

https://www.ladepeche.fr/article/2014/09/03/1943983-le-14-un-air-du-japon.html

https://www.ladepeche.fr/article/2017/08/01/2621207-l-offrande-du-soleil-levant.html

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モンレジョ市場と地域的な通貨

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Stands de paniers et de fleurs sur le marché de Montréjeau, août 2019, H. Macdonald.

日本に住んでいた時に一番なつかしかったのは市場とチーズでした。スケジュールが許せばスーパーより市場で買い物したいと思います。ただ、市場の時間はちょっと不便です。週に一回市場をする都市や村は多くて、だいたい平日に開かれます。しかし所によって市場の曜日が変わるので、違い場所に行けばほとんど毎日市場があります。市場の曜日は時々町や村の看板に書かれています。それで、市場で商売する人は商品を包む紙や袋にその他に行く市場の曜日を書いています。このように、他の村、他の都市の市場の曜日がお知らせされています。

モンレジョの市場は毎週の月曜日で、にぎやかで結構大きいです。肉屋、八百屋、マス(魚)屋、チーズ屋、パン屋、はちみつ屋、スパイス屋、服屋、古着屋、アクセサリー屋、CD屋、かご屋など、なんでもありますよ。幼い時市場へ行くのは大好きでした。鶏、ヒヨコ、ウサギなどの小動物が売られているので楽しかったです。ウサギを可愛がるのが好きで、ヒヨコはかわいいと思っていたので、将来ヒヨコ屋さんや花屋さんの間でどちらになろうか迷っていました。

市場で商売人を二つのグールプに分けることができると思います。一方は生産する商売人で、他方は転売する人です。両方する人もいると思いますので、もちろんいつもはっきり分けることが出来ませんが、個人的に優先的に生産する商売人を働かせたいと思います。

ある商売人のスタンドに「この店でトゥゼルをつかえます」という看板が見えます。トゥゼル(小麦の一つの種類から来た名前)はユーロに並行しているコメンジュー地域の通貨です。具体的にというと1ユーロは1トゥゼルに当たります。ユーロとトゥゼルはトゥゼルのカウンターで両替が出来ます。地域的な通貨はコメンジューしかないわけではありません。ユーロがあるのに地域的な通貨が存在する意味はなんでしょうか。この地域的な通貨はよく「市民的」や「論理的」と形容されています。私が分かる限り、この地域的な通貨の意味が二つあります。一つ目は投機を避けるということです。銀行に預けたお金は銀行の金庫に止まるわけありません。銀行に使われています。しかしトゥゼルは金融に使えないので使い方をもっと支配できるらしいです。二番目は地域的な生産と短い流通を発達させることです。トゥゼルを買ったら写真を載せます。

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「ミヤソン」という甘い名物

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Millasson, Gourdan-Polignan, octobre 2020, G.Ducros

前回の投稿で「ミヤ」について書いたと思います。ここの地方では「ミヤソン」という名物もあります。発音は似ていますが「ミヤソン」(millasson) はグルダン・ポリニャンの隣にある「モンレジョー」(Montréjeau) という小さい町のケーキ屋さんの人気があるお菓子の名前です。この店の名前はスベールビエル屋「Suberbielle)です。店の名前は二代目の代表から付きました。

「ラ・デッペーシュ」(La dépêche) という地域の新聞には2012年にこのケーキ屋さんの人気があるお菓子について記事が載っていました。記事の主な情報はこれです。

「1871年に創業された店の5代目の代表はスベールビエル・ジャン・ルイです。

店を創業した女性はベルゲスさんでした。彼女は早く夫と死に別れて一人でケーキの製造と販売を進めました。子供は二人いました。長男は聖職者になって日本で宣教師になりました。マリ・ルイズという長女は母親の研修生であったスベールビエル・オグスチンさんと結婚しました。

この家族は代々受け継がれた「ミヤソン」というケーキを作り上げました。店を開いたベルゲスさんは1871年にもうこのレシピを持っていました。材料は秘密ですが作るのはとても簡単ですよ。クレープの生地にオレンジフラワーウォーターとレモンで味つけされていて、小さくてちょっと高い型の中に入れて焼いています。保存料や着色料が入っていません。昔から、このケーキを作るために使っている牛乳はアドゥ農家から来ます。あそこの牛は代々ミヤソンケーキが長く続くように協力をしていますよ。」

参考:Les Suberbielle, pâtissiers de père en fils, depuis 141 ans.

個人的に聞いたことによるとミヤソンケーキの秘密は焼き上げにあります。焼き上げは特に微妙な感覚が必要らしいです。

ミヤソンケーキはモンレジョーでしか食べられませんので、ぜひ味見してください。

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お人形の祭り

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Mounaques sur le bord de la route
Mounaques sur le bord de la route à Campan, août 2020, G. Ducros.

レスポーヌ谷の隣にカンパン村(Campan)があります。7月と8月にほとんど人間の高さのお人形が飾られています。その人形はムナック(mounaque)と言われていて、ボロ切れと干し草で作られています。手作りでそれぞれは違います。そう言う人形を作る人によるとムナックはシャリバリの習慣と関係がありました。辞書で調べたら次の定義が書かれています。「不釣合な結婚や再婚した者に対し、若者組の連中が家の窓下などで鍋と釜をたたいて大騒ぎする風習」でした。

ピレネー家族では相続する子供は一人しかいなかったのでピレネーの家族は日本の家と似ていた点が多かったと言えます。相続する子供は長男・長女だったので彼らの結婚は特に神経質でした。mounaquesetcompagnieと言うサイトによると跡取りの結婚は相続の問題が絡みました家族・村に完全に賛成してもらえなかった時にシャリバリがあったみたいです。シャリバリをやめさせるために、結婚する人が若者組にお金を上げなければなりませんでした。ムナックは粗野で皮肉的な面があるのでシャリバリに出ていたではないかと想像しています。

シャリバリの習慣がなくなりましたがカンパン村のある商人がお客さんを引き付けるためにムナックを再び作りました。最高でしたので村の人達がみんな作り始めました。観光客に人気があるみたいです。

ムナックはシャリバリと関係があると言われてもそれだけなのか自問しています。時代とともに変化する習慣がありますね。ムナックの目的は人をからかうことでしが、不幸、病気などを招かないような意味もあったと考えられませんか。昔使い終わったムナックをどうやって破壊したかなど調べればこの仮説をまじめに考えることができます。

Voir aussi :

https://www.grandsudinsolite.fr/1262-65-hautes-pyrenees-les-mounaques-de-campan.html

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